TOP 活動報告 中尾山古墳特集 西本 昌弘

活動報告

UNIT 32021.04.21

中尾山古墳特集 西本 昌弘

飛鳥の王墓・中尾山古墳の発掘調査

―八角墳の構造と性格に関する新事実が明らかに―

 

【中尾山古墳】

中尾山古墳は奈良県明日香村平田に所在する終末期古墳で、国営飛鳥歴史公園(高松塚周辺地区)内の小高い丘上に立地しています。
極彩色壁画で有名な高松塚古墳は一つ南側の丘陵上、直線距離にして約200メートルの位置にあります。
1974年に奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査を行い、同所員でもあった関西大学助教授の網干善教氏が文学部考古学研究室の院生・学生を率いて発掘を主導しました。
この時の調査で、中尾山古墳の石槨は内法が約0.9m四方の規模をもち、火葬骨壺を納入していたものとされ、墳丘は3段築成の八角形で、その外周に2重の礫敷施設をもつものと想定されました。

中尾山古墳のイメージ図 極彩色壁画で有名な高松塚 (朝日新聞2020年11月27日朝刊)

 

【今回の発掘調査成果】

2020年の11月から12月にかけて、明日香村教育委員会と関西大学文学部考古学研究室は共同で中尾山古墳の発掘調査を行いました。
中尾山古墳は、奈良県や明日香村などが登録をめざしているユネスコの世界文化遺産「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産であるため、その墳丘規模や構造などの解明を目的として、調査が実施されたのです。
調査の結果、墳丘は三段築成の八角形で、対辺長約20m、高さ4m以上をはかること、一段目・二段目は基壇状の石積みをもつが、三段目は版築の盛土のみで整形されていることが判明しました。
また、墳丘の外側には三重の外周石敷が巡ること、その対辺長は三重目で約32.5mをはかることが確認されました。
さらに、横口式石槨は凝灰岩や花崗岩などの精巧な切石で築かれ、内法が約0.9m四方の規模をもち、内部に水銀朱が塗られていました。
1974年の発掘調査以来、中尾山古墳は文武天皇(683-707年)の火葬骨壺を葬った山陵(檜隈安古岡上陵)であろうといわれていましたが、今回の発掘調査によってその可能性がさらに高まるとともに、八角墳に関する貴重な知見も数多く得ることができました。同じく八角墳である段ノ塚古墳(舒明天皇陵に治定)や野口王墓古墳(天武・持統天皇陵に治定)では、八角墳の隅角石は135度の角度をもつように丁寧な加工が施されていますが、中尾山古墳の隅角石はそれらとはやや異なり、複数の石を組み合わせて135度になるようにしたり、楕円形の石を配したりしていました。こうした事実は飛鳥における文武天皇陵の性格について見直しを迫るものといえます。

今回の発掘調査には関西大学の学生も参加し、ユニット3の米田文孝氏が彼らを率いて発掘調査を主導しました。調査成果は新聞各紙で報道されたほか、12月13日に明日香村中央公民館で行われた「飛鳥史学文学講座」において、発掘調査を担当した明日香村教育委員会の西光慎治氏が詳しく報告し、ユニット3の西本昌弘が補足説明を行いました。

中尾山古墳の墳丘と外周石敷

中尾山古墳の外周石敷隅角石

中尾山古墳石槨