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言語交渉研究班

言語交渉研究班 -Language contact-

【研究テーマ】
周縁からのアプローチを基盤とした近代における東西言語文化交渉研究とアーカイブ構築から人文情報学へ



2025年3月22日 KU-ORCAS第18回研究例会

概要  主幹代理 玄 幸子
研究班での活動が最終年度を迎えたことを受けて、ここ数年来取り組んできた石濱純太郎および石濱文庫所蔵資料に関する研究成果の公表をメインとして「石濱純太郎の学問とその周辺」というテーマで開催した。すでにこの分野で多数の成果を上げておられる高田時雄京都大学名誉教授と長田俊樹総合地球環境学研究所研究部名誉教授のお2人にご講演をいただいた後、研究員3名による研究発表が行われた。プログラムは次の通りである。

日本人女性向け中国語教科書における語気助詞:『燕語新編』と『婦女談論新集』を資料として   石崎 博志
本発表では近代日本における女性向け中国語教科書における語気助詞の使用状況を分析し、歴史的な男女の口調の違いを考察した。基礎資料として『燕語新編』(1906年)と『婦女談論新集』(1914年)の2冊を女性話者のデータを扱い、男性向け資料『北京官話談論新編』(1898年)と比較した。分析の結果、女性向け資料では哪、啊、呀、罷、納などa系の語気助詞の使用頻度が高く、男性資料とは有意な差が見られた。語調を和らげる役割を果たしていた。一方、合音系の語気助詞(哈、嘛、哇等)は使用されず、丁寧で洗練された表現が好まれる傾向が見られた。
本研究は中国語における性差の通時的変化の解明に資し、近代におけるポライトネス方略の研究にも貢献する。今後はより詳細な資料の分析を通じて、男女の言語使用の変遷をより詳細に明らかにすることが求められる。

国名「中国」の歴史考─日本の中国史学界における定説の検証─  田野村 忠温
日本の中国史研究者は、中国を表す「中国」という国名が使われるようになったのは20世紀初期(ないし、19世紀中葉以後)であり、それまでは中国はもっぱら各時代の王朝名で呼ばれていたとする見解を異口同音に唱えている。おそらくその影響により、通俗書の類にもしばしば同じことが書かれている。
しかし、実際には、16世紀末以来の西洋人による多くの文献において「中国」が一般的な国名であることが説明され、西洋人が中国語で著述するときにも現に「中国」が広く使われていた。また、18~19世紀の中国人による多くの文献にも「中国」の使用を確認することができる。しかも、王朝名は通常の文献にはそもそも使用がほとんど見られない。したがって、中国史学界の定説とは異なり、中国を表す一般的な名称は実は数百年前から一貫して「中国」であり、王朝名は主に正式な文書のしかも特定の文脈において使われるものであったと言わなければならない。中国史研究者の誤解は、過去における「中国」の使用状況をほとんど確かめることなく、自身の歴史理解と想像に頼って論じているところに原因があると見られる。言うまでもなく、国名は言語の要素であり、したがって、国名の歴史は言語の歴史の一部である。国名の歴史の解明には、その他のあらゆる語彙の場合と同じく、まず用例の調査が不可欠である。

戦前の中国語教材を俯瞰する  氷野善寛
本発表では、明治から昭和初期にかけて出版された中国語教材の全体像を、六角恒廣『中国語関係書目(増補版)1867–2000』を基盤に、新たに再発見された約500点の資料も含めて俯瞰した。教材の分類や出版地、サイズや用途の特徴、さらには学習者による使用記録まで、多角的に整理を試みた。また、こうした歴史的資料に対し、AIを研究のショートカットとしてどこまで活用できるかを検証し、OCRによる文字起こし、TEI形式でのマークアップ、出版地の可視化といった作業の有効性と限界について、ChatGPTやGoogle Colaboratoryを用いた具体的な事例を通じて報告した。

近世国学者の書入れ本『万葉集』のデータ化  乾 善彦
KU-ORCASのプロジェクトを引き継ぐ形で進めてきた「廣瀬本万葉集」のTEI化が、今年度、巻一・二の二巻について完成をみたので、これを紹介するとともに、あらたに画策中の本居宣長記念館蔵本居宣長手拓本万葉集の書入れ情報のTEI化についての計画内容を提示し、古典テキストのTEI化における目的・方法について提言をおこなった。具体的には、必要なタグとして、廣瀬本では、位置情報・内容情報・由来情報・墨色情報をタグ付けしたが、宣長書入れの場合は、これに加えて、貼紙か直書かといった書入れ形態、書入れの種類として人名や書名といった固有名詞情報が必要なこと、宣長書入れを階層化することが必要なことを、具体的な事例に即して述べた。そのうえで、こういったタグ付けの方法が、古連テキスト一般のTEI化にとって基準となることを目的として定めることで、TEI化した資料の増加をうながし、汎用性の高い資料作りが可能になるという展望を述べた。



2025年3月17日 KU-ORCAS第17回研究例会

概要 主幹 奥村 佳代子
4名の研究員による研究発表を行なった。本研究班は、個々の資料を用いた言語研究の他に、デジタル・ヒューマニティーズやAI用いた研究手法を言語研究にいかに活用できるか、またどのように活用すべきかを考えることも視野に入れており、今回の研究例会はその二つを組み合わせる試みであった。前半の伝統的な研究手法による研究発表に続けて、後半ではデジタルを用いた研究発表が行われたことによって、従来の言語研究で用いられている伝統的な手法が、最新のAI 技術で代替可能かどうか、可能だとすればどのように活用できるのか、という点も示される形となった。伝統的な手法でなければならない部分も現時点ではまだまだ残されているということや、AIを用いることにより作業をより効率的に行い、研究の速度をあげることがどこまで可能かをも学ぶ良い機会でもあった。個々の研究成果の発表でありながら、「それぞれをデジタル技術を用いれば」という視点で捉え直すことにも通じ、まとまりのある例会となった。現時点でAIには何ができるのか、また言語研究にどのようなAI技術を必要としているのかを自由に述べ合うことができた。

日本人女性向け中国語教科書における語気助詞:『燕語新編』と『婦女談論新集』を資料として   石崎 博志
本発表では近代日本における女性向け中国語教科書における語気助詞の使用状況を分析し、歴史的な男女の口調の違いを考察した。基礎資料として『燕語新編』(1906年)と『婦女談論新集』(1914年)の2冊を女性話者のデータを扱い、男性向け資料『北京官話談論新編』(1898年)と比較した。分析の結果、女性向け資料では哪、啊、呀、罷、納などa系の語気助詞の使用頻度が高く、男性資料とは有意な差が見られた。語調を和らげる役割を果たしていた。一方、合音系の語気助詞(哈、嘛、哇等)は使用されず、丁寧で洗練された表現が好まれる傾向が見られた。
本研究は中国語における性差の通時的変化の解明に資し、近代におけるポライトネス方略の研究にも貢献する。今後はより詳細な資料の分析を通じて、男女の言語使用の変遷をより詳細に明らかにすることが求められる。

国名「中国」の歴史考─日本の中国史学界における定説の検証─  田野村 忠温
日本の中国史研究者は、中国を表す「中国」という国名が使われるようになったのは20世紀初期(ないし、19世紀中葉以後)であり、それまでは中国はもっぱら各時代の王朝名で呼ばれていたとする見解を異口同音に唱えている。おそらくその影響により、通俗書の類にもしばしば同じことが書かれている。
しかし、実際には、16世紀末以来の西洋人による多くの文献において「中国」が一般的な国名であることが説明され、西洋人が中国語で著述するときにも現に「中国」が広く使われていた。また、18~19世紀の中国人による多くの文献にも「中国」の使用を確認することができる。しかも、王朝名は通常の文献にはそもそも使用がほとんど見られない。したがって、中国史学界の定説とは異なり、中国を表す一般的な名称は実は数百年前から一貫して「中国」であり、王朝名は主に正式な文書のしかも特定の文脈において使われるものであったと言わなければならない。中国史研究者の誤解は、過去における「中国」の使用状況をほとんど確かめることなく、自身の歴史理解と想像に頼って論じているところに原因があると見られる。言うまでもなく、国名は言語の要素であり、したがって、国名の歴史は言語の歴史の一部である。国名の歴史の解明には、その他のあらゆる語彙の場合と同じく、まず用例の調査が不可欠である。

戦前の中国語教材を俯瞰する  氷野善寛
本発表では、明治から昭和初期にかけて出版された中国語教材の全体像を、六角恒廣『中国語関係書目(増補版)1867–2000』を基盤に、新たに再発見された約500点の資料も含めて俯瞰した。教材の分類や出版地、サイズや用途の特徴、さらには学習者による使用記録まで、多角的に整理を試みた。また、こうした歴史的資料に対し、AIを研究のショートカットとしてどこまで活用できるかを検証し、OCRによる文字起こし、TEI形式でのマークアップ、出版地の可視化といった作業の有効性と限界について、ChatGPTやGoogle Colaboratoryを用いた具体的な事例を通じて報告した。

近世国学者の書入れ本『万葉集』のデータ化  乾 善彦
KU-ORCASのプロジェクトを引き継ぐ形で進めてきた「廣瀬本万葉集」のTEI化が、今年度、巻一・二の二巻について完成をみたので、これを紹介するとともに、あらたに画策中の本居宣長記念館蔵本居宣長手拓本万葉集の書入れ情報のTEI化についての計画内容を提示し、古典テキストのTEI化における目的・方法について提言をおこなった。具体的には、必要なタグとして、廣瀬本では、位置情報・内容情報・由来情報・墨色情報をタグ付けしたが、宣長書入れの場合は、これに加えて、貼紙か直書かといった書入れ形態、書入れの種類として人名や書名といった固有名詞情報が必要なこと、宣長書入れを階層化することが必要なことを、具体的な事例に即して述べた。そのうえで、こういったタグ付けの方法が、古連テキスト一般のTEI化にとって基準となることを目的として定めることで、TEI化した資料の増加をうながし、汎用性の高い資料作りが可能になるという展望を述べた。



2024年11月1日 KU-ORCAS第7回研究例会

概要 主幹 奥村 佳代子
本研究会は、研究員4名による研究発表が行われた。発表テーマは発表順に、沈国威研究員「『社会』『進化』と『進歩』:『時務報』を素材としての概念史的考察」、田野村忠温研究員「「布哇」の謎の解-この不可解な地名表記の成立過程-」、遠藤雅裕研究員「台湾海陸客家語の非完了相標識“等nen35”と事態アスペクトの関係について」、内田慶市研究員「域外漢語資料の文化交渉学的アプローチ-本、人、出版社、地域等多元的視点からの再構築-」であり、東アジアの言語資料をめぐり最新の研究成果が披露された。それぞれの発表に関し、質疑応答、議論が活発に行われた。特に、大学院生や若手研究者からの発言も複数あった。例会全体を通して見れば、多地域の言語現象が多角的に捉えられており、東アジアの言語資料と研究手法の多様性が示された研究会であった。

「社会」「進化」と「進歩」:『時務報』を素材としての概念史的考察  沈 国威
『時務報』(1896-1898)に「東文報訳」という日本の新聞・雑誌の記事を中国語に翻訳するコラムが設けられている。漢学者古城貞吉がその翻訳を担当していた。「東文報訳」によって日本の様々な情報だけではなく、西洋の近代的知識、概念とそれを表出する語彙も中国に入った。本発表は、『朝日新聞』(1897.12.10-11)に掲載された社説「社会の容量」とその中国語訳を中心に「社会」「進化」「進歩」という語の中国語進出と進化主義の受容を近代概念史という視点から考察するものである。

「布哇」の謎の解─この不可解な地名表記の成立過程─  田野村 忠温
かつて日本ではハワイはしばしば漢字で「布哇」と書かれた。しかし、「布哇」という表記の根拠は不透明である。ハワイをなぜそう書くのか。すなわち、「布哇」の2字は「ハワイ」の発音にどう対応しているのか。
本発表では、発表者がこれまで抱き続けてきたその疑問に取り組み、ハワイ語、英語、中国語、日本語に関わる情報の総合的な分析を通じてこの漢字表記が発生、普及した過程に考察を加えた。一部に推定による補完を含む分析を要約すれば以下の通りである。
19世紀のハワイの中国人社会でハワイ島はWhyhee、ワイヒーという英語名に基づいて呼ばれ、「哇希」と書かれた。それが日本に伝えられた後、日本人は第2字を誤って「哇布」に変え、さらに2字を転置して「布哇」と書くようになった。こうして二重の錯誤によって生じた「布哇」は1871(明治4)年に締結された日布修好通商条約でも使われ、ハワイを表す漢字表記として日本語に定着した。
「布哇」の「布」は「ハワイ」の「ハ」の発音を表すものではなかった。それは、中国語の「哇希」という表記において「ヒー」という発音を表していた「希」の残骸、なれの果てであった。

台湾海陸客家語の非完了相標識“nen35等”と事態アスペクトの関係について  遠藤 雅裕
本発表では、海陸客家語について非完了相標識“nen35等”が状態型動詞・到達型動詞と共起し、時間の推移に従って状態が変化する動態性を表わすという、標準中国語の“著”には見られない現象が存在することを指摘し、この要因について、次の二つの可能性を提起した。
一つ目は、共起する状態型動詞や到達型動詞の内的時間構造が北方漢語と異なっている可能性である。まず状態型については、動態的内的時間構造を潜在的にもつ「動態形容詞」に限定されている。この動態形容詞一部については、“tʰai33大”(成長する)等の例から、北方漢語の動態形容詞よりもより活動型に近い特徴を持っている可能性がある。一方、到達型については、「状態自律変化型」(‟死、開”)および「位置自律変化型」(‟來、到”)に限定されている。これらは事態が実現する前の段階を含んでおり、達成型あるいは達成型の終結点が背景化した活動型に近い時間構造を内在している可能性がある。
二つ目は非完了相標識“nen35等”の事態アスペクトに対する類型変換機能が、北方漢語よりも強いことである。状態型については、動態性を賦与して活動型に変換する一方、到達型動詞については、持続性を賦与して事態が実現する前の段階を前景化して達成型に変換する。
結論としては、上述の二つの点が、冒頭にあげたようなアスペクト的解釈の要因になる可能性を指摘した。

域外漢語資料の文化交渉学的アプローチ ―本、人、出版社、地域等多元的視点からの再構築   内田 慶市
これまで発表者は長年にわたり、域外漢語資料の中国語学への可能性や有効性については繰り返し述べてきたところである。ただ、これまではこうした言語研究に特化したものが多かった。最近、こうした資料の取り扱いに関しては色んな見方、とりわけ「文化交渉学」的なアプローチが可能であり、そこから、近代における日中欧の言語接触研究の新しい研究が生まれてくるのではないかと考えるようになった。
今回は特に、官話資料に関わる作者等の人物関係、出版機構、それらの資料の流通、伝播関係を「語言自邇集」「官話指南」「官話類編」「華語跬歩」などを中心に考察した。とりわけ、ドイツ人漢学者アーレント、日本の御幡雅文、それをつなぐ中国人教師、桂林の交流関係を取り上げて、今後の研究の新しい取り組み方について論じた。



2024年7月6日 KU-ORCAS第4回研究例会

概要 主幹 奥村 佳代子
本研究会は、2024年度の第一回研究例会として開催し、研究員3名による研究発表が行われた。発表テーマはそれぞれ、遠藤雅裕研究員の「台湾海陸客家語教本『新客話課本』について」、田野村忠温研究員の「日本語の中国地名の変遷―その多様性と類型―」、沈国威研究員の「東アジア諸国における漢字の造語力と理解可能性について」であり、東アジアの言語に関する内容が幅広く取り上げられた。全体討論の時間は設けなかったが、個々の発表に関する質疑応答、議論が活発に行われた。オンラインとのハイブリッド開催をやめ、従来どおりの会場開催のみとしたことが、参加者数に影響するのではないかと危惧したが、杞憂であった。発表者を含め約30名が参加したが、学外からの参加者も多く、大変充実した研究会であった。

台湾海陸客家語教本『新客話課本』について 遠藤 雅裕
本発表では、以下の台湾海陸客家語の教本を対象とし、当該教本が反映している言語を特定することを目的としている。
王湄臺編.1962a.《新客話課本》第一~二本。新竹:天主教華語學院。(関西大学東西学術研究所(鱒澤文庫)所蔵)
王湄臺編.1962b.《新客話課本:羅馬字注音》第一~二本。新竹:天主教華語學院。(波多野太郎氏旧蔵書・筑波大学附属図書館所蔵)
本教本は、上記のように漢字版とローマ字版があり、ローマ字体系は次の客家語―フランス語辞典のローマ字体系を採用している。
Rey, Charles. 1926. Dictionnaire chinois-français: dialecte Hac-ka: précédé de quelques notionssur la syntaxe chinoise. Hong Kong : Imprimerie de la Société des Missions-Étrangeres.
当該教本の客家語は台湾海陸客家語であるとの結論にいたっているが、その根拠は教本が海陸客家語を使用していることを記している以外に、音韻体系が現代海陸客家語と一致すること、語彙や会話の内容が台湾の地域的特色を反映していることである。問題は名詞接辞のひとつである指小辞“ze2子”が現代海陸客家語の“ə2仔”と音声形式が大きく異なることである。これについては、先行研究や関連する歴史資料等を根拠にして、声母・韻母についてʦɿ > tə (ʣə / zə) > lə > əという変化が、また声調についても上声(35調)から陽平(55調)あるいは陽去(33調)という変化が比較的短期間の内に生じたという仮説を立てることによって解決できることをしめすことができた。 王湄臺編.1962b.《新客話課本:羅馬字注音》第一~二本。新竹:天主教華語學院。(波多野太郎氏旧蔵書・筑波大学附属図書館所蔵)

東アジア諸語における漢字の造語力と理解可能性について 沈 国威
近代以降、西洋学問を受容するにあたって、漢文漢字を廃止すべしとの声が絶えなかった。しかし、東西の近代的な知識体系が成功裡に融合させたのは、最終的には新漢語によって達成したのであった。新漢語には、科学技術用語だけでなく、二字から成る名詞、動詞、形容詞も数多く含まれており、今日の創造的な生産活動に欠かせない言語資源であるとともに、東アジアの概念共同体を維持する語彙的基盤になっている。近代の新語彙は、中国語、日本語、韓国語、ベトナム語の四言語において、語形が同じ、概念の意味が一致している、英語に対し共通した訳語を有するといった特徴がある。近代における漢字新語彙を通時的・共時的に全体像を記述することによって、漢字の多言語間における造語能力や可解性を明らかにすることができる。このような研究は、国際中国語教育や辞書編纂、概念史研究において意義が極めて高いだけでなく、東アジアを対象とした地域・国別研究においても重要な意義を持つ。



2023年12月8日 KU-ORCAS第3回研究例会

概要 主幹 奥村佳代子
 近現代における外国語学習の状況とそれをめぐる諸問題について、日本語、中国語、英語の具体的な学習例について、最新の研究成果が報告された。いずれの報告も長年の研究の蓄積が踏まえられており、日本における中国語学習と英語学習、ヨーロッパにおける日本語学習というテーマを通じて、当該地域の域外資料の全体像を概観しつつ、外国語学習及び外国語教育の実態の解明に、回答が提示されるとともに、新たに取り組むべき課題の可能性が示唆された。

御幡雅文の北京官話資料 内田 慶市
 最近新しく注目している御幡雅文の北京官話資料について報告を行った。具体的には、長崎大学図書館経済学部分館に所蔵されている「志白問答」「紹古先生口授京話」「官話今古奇観」の 3 種の写本である。それらの体裁等について概述した後、それらの写本の主、書かれた時期、更にはそれぞれの内容についても論じた。結論的にはいずれも御幡雅文の手になるもので、全て満洲語の要素なども含まれた完璧な北京官話であり、北京官話研究に大きく貢献する資料であることを述べた。将来的には、これらを影印出版し、広く研究者の便に供したいと考えている。

基本語彙と標準訳語について 沈 国威
 語彙体系における基本層をなす語彙は、変化せずに使い続けられてきたのか、それとも時代とともに絶えず変化するのか。変化するならば、どの部分、どのように変化するか、変化する部分としない部分はどのような関係にあるのかというのが本発表の問題意識である。田中牧郎氏は、明治中期以降、語彙の変化、交替の現象を「基本語彙化」と呼んで、雑誌『太陽』等の言語資料で考察した。報告者は、基本語彙化は、語彙体系の近代的再構築によって引き起こされた現象であり、その背後に同義語群の発達があると考えている。日本語の基本語彙化の結果は、英和辞典や国語辞典によって固定され、「標準訳語」となる。この標準訳語は、また英和辞典を通じて、中国、韓国、ベトナムに波及したという東アジアにおける近代語彙の創出と交流を、わたしの研究テーマ「日中における言文一致の語彙的基盤に関する研究」との関連性において論じた。

幕末英語学習書4点の依拠資料と著作者──『英米対話捷径』『和英商賈対話集』『商用通語』『ゑんぎりしことば』── 田野村 忠温
横浜、函館、長崎開港直後の時期の日本で相次いで出版された英語学習書のうち、中浜万次郎訳『英米対話捷径』、著者不明の『和英商賈対話集』などについて、それぞれの依拠資料および著作者の問題について論じた。中浜万次郎訳『英米対話捷径』は従来常に中浜の著作と考えられてきた。しかも、扉に「中浜万次郎訳」と書かれているにもかかわらず、大多数の論者は英語の文例も中浜自身が準備したと考えてきた。しかし、実は同書の文例はすべて18世紀末にオランダで出版された英語学習書 George Ensell A Grammar of the English Language から取られていることを明らかにし、同書の著作を主導した人物はほかにあり、中浜は英文の発音、解釈その他に関する情報提供者としての役割を果たしたに過ぎないとする推定を述べた。『和英商賈対話集』は従来蘭通詞本木昌造の著作だとする説が一般的であったが、同書は実は一人の英国人と二人の日本人の共同作業の結果物であるとする推定を述べ、少なくとも本木個人の著作ではあり得ないことを論じた。



2023年11月10日 KU-ORCAS第2回研究例会

概要 主幹 奥村佳代子
本研究例会では、石濱純太郎とその周辺をめぐる諸問題について、主に石濱純太郎をめぐる人々について、講演と研究発表が行われた。長田俊樹先生(総合地球環境学研究所 名誉教授)による講演「石濱シューレの人々―財津愛象・西田長左衛門・大島仲太郎」は、財津愛象、西田長左衛門、大島仲太郎と石濱シューレとの関係を明らかにしたモノである。財津、西田、大島は、大学教授としての肩書きを持たず、学問的には後世に残る仕事をしたわけではなかったが、丹念な資料調査によってその人物像が明らかにされ、西田と大島に関しては詳細な著作目録が作成された。この 3 人の人物像が描き出されたことによって、市井の学問を志す人々を受け入れた石濱純太郎の姿勢が示された。また、本講演では、本研究班が新たに購入した狩野直喜と財津愛象の書簡から得られた情報も披露され、貴重な資料であることが報告された。吉村直哉先生(元市岡高校教諭)の研究発表「石濱純太郎と金鐡会の人々」では、丹念な資料調査のもと、金鐡会の構成メンバーと石濱純太郎との繋がりを明らかにし、さらにはその周辺の人物との関わりにも触れ、金鐡会関連活動の詳細にもとづき、石濱純太郎と金鐡会をめぐって築かれた人間関係の全体像と交流の具体的な足跡を辿られた。

大阪大学附属外国学図書館所蔵『満蒙漢三文合璧教科書』について―『満州語教本』との関係を中心に 松岡 雄太
大阪大学附属外国学図書館には『満蒙漢三文合璧教科書』(以下、『教科書』)なる満洲語文献が3帙所蔵されているが、本発表ではこのうちの文献番号「Mn390/18/1~10」を対象に、その内部に残された日本語の書き込みについて考察した。昨年(2022年)末に大阪大学附属図書館石濱文庫から『manju gisun tacibure hacin –i bithe jai debtelin(通称:満州語教本)』なる新資料が発見されたが、これは上原久氏が1960年代にその存在を明らかにしていた『満州語ヲ学ブ初歩(manju gisun tacibure tuktan bithe)』と対をなす下巻にあたるものであり、共に渡部薫太郎が大阪外国語学校で満洲語の授業を担当した際に作成・使用した教材である。これら教材の種本は共に『教科書』であるが、今回、『満洲語教本』の満文日本語訳と上記の『教科書』に残された書き込みを照合した結果、同一人物の手による可能性が高いことが明らかになった。以上より、『教科書』の書き込みは、渡部薫太郎が満洲語の教材を作成した際、あるいはそれ以前に自ら満洲語を学習した際の痕跡であると結論づけた。



2023年9月30日 KU-ORCAS第1回研究例会

概要 主幹 奥村佳代子
本研究例会では、喫緊の課題である KU-ORCAS デジタルアーカイブの充実に関して、具体的な提案がなされた。KU-ORCAS デジタルアーカイブは、関西大学総合図書館と KU-ORCAS をリソ ースとして資料の画像と書誌情報を公開している。貴重な資料も多く含まれており、画像の公開は知的財産の共有に貢献しているといえるが、テキストデータが付与されれば、本アーカイブはより意義深い存在となりうる。この理念のもとに、テキストデータとリンクしたデジタルアーカイブをいかに構築すべきかが、本研究班にとって最重要の課題のひとつである。本研究例会では、本学総合図書館増田渉文庫に所蔵されている、増田渉書き入れ資料のテキスト化の実現に向けて具体的な「増田渉文庫蔵・魯迅関係資料の TEIによるテキスト化プロジェクト」構想が示された。同時に、増田渉書き入れ資料の読解とテキストデータ作成を、研究班で取り組むべき共同研究のテーマとして位置づけることが確認された。また、進行中のテキスト化の具体例や今後のテキスト化の目標等、各研究員がそれぞれの研究や構想を紹介した。

増田渉文庫蔵・魯迅関係資料のTEIによるテキスト化プロジェクト 石崎 博志
本発表はすでに構築されている関西大学のデジタル・ア ーカイブをユーザー視点でどうデザインし、発展させるかという問題意識から、すでに公開されている翻刻データをTEI によるタグ付けをして公開するという計画について述べたものである。具体的な第一歩として、本学所蔵の増田渉の旧蔵書から、魯迅『吶喊』を選び、本文データと書き入れデータを翻刻し、公開することとした。増田渉は 1931 年上海にある魯迅の自宅で一年にもわたり『吶喊』と『彷徨』の講義を受け、その際のメモが残っており、このメモは魯迅の小説の細部を解読する際の世界的にも貴重な資料とな っている。この翻刻データが公開されれば魯迅研究に貢献できると考える。ただこのためには障碍があることを指摘している。TEI でタグ付けしたデータができあがっても、ビ ューワ表示ができなければユーザーが使いやすい形で利用できないことである。この点をクリアすることが今後の課題であるとした。

関西大学附属図書館が所蔵する篆隷万象名義近世写本およびその構造化テキスト記述の試み 李 媛
《篆隷万象名義》は平安時代初期に成立し、弘法大師空海によって編纂された。これは、日本に現存する最古の漢字の字書である。高山寺本は、唯一の古伝本である。《篆隷万象名義》の近世写本は、東アジアの各地の図書館に収蔵されている。関西大学附属総合図書館には《篆隷万象名義》の近世写本が所蔵されている。《篆隷万象名義》近世写本の書誌調査は、高山寺本と近世写本の比較研究を進める上で非常に重要な意味を持つ。この発表では、関西大学図書館に所蔵されている《篆隷万象名義》近世写本の書誌調査と、そのデジタル化の状況について報告した。

中国語商業会話書『生意襍話』のテキストデータ作成に向けて 奥村 佳代子
KU-ORCAS デジタルアーカイブが、中国研究のプラットフォームとして広く活用されるには、固有の資料のテキストデータの作成と公開に早急に取り組み、他のアーカイブとの差別化をはかる必要がある。明治時代に編纂された『生意襍話』は、御幡雅文が上海の日清貿易研究所で学ぶ学生のために編纂したものであると考えられる。管見のかぎりでは、刊本は明治大学図書館と関西大学総合図書館に、写本は北九州市立図書館とKU-ORCAS 鱒澤文庫に所蔵されており、現時点で確認することのできる資料はこれら 4 冊のみである。希少価値の高さから、画像資料とテキストデータが公開されることに十分な意義があると同時に、4 冊がそれぞれ固有の手書きメモや加筆など他にはない特徴を持っているという点からも興味深い資料群である。まずプレーンテキストを作成し、手書きメモや加筆部分をどのように提示するかが課題である。



2022年12月17日 KU-ORCAS第5回研究例会

概要 主幹 奥村佳代子
2022年度第7回研究例会(第5回 KU -ORCAS研究例会)は、4人の発表者が個別のテーマで最新の研究成果を発表した。
永井崇弘 研究員「最早期プロテスタント系漢訳聖書における人称代詞について」 本研究発表では、最早期のプロテスタント系漢訳聖書を取り上げ、特に人称代詞に焦点を当て語彙を詳細に調査し、最早期における人称代詞の翻訳状況の全容を明らかにした。また、他に用例が見られない人称代名詞の存在を指摘した。
乾 善彦 研究員 「日本的漢字の変容—『小野篁歌字尽』その後—」 江戸時代の往来物と称されるいわゆる教科書の1つである『小野篁歌字尽』は長期にわたり何種類も出版され、学ばれた。本研究発表では、『小野篁歌字尽』に端を発する日本漢字の変容と近世庶民の漢字意識について論じた。
田野村忠温 研究員 「『海国図志』版問題新論」 従来から議論や記述が繰り返されてきた『海国図誌』の版の種類の問題には、不正確な点が多く、不明点が解決されないまま放置されてきた。本研究発表は、目録情報にのみ頼るのではなく、実際に本の精査に当たり、従来指摘されたことのなかった版の区別の存在を明らかにし、各版の位置付けについて論じた。
沈 国威 研究員 「「知識」の系譜」西周の訳語の分析によって、東アジアにおける近代知識体系の受容史の再生が可能となることを、訳例を挙げながら指摘した。

最早期プロテスタント系漢訳聖書における人称代詞について―ラサール系漢訳聖書を中心に― 永井崇弘
本発表は、非中国語圏のインドで非中国語母語話者であるラサールが漢訳した1807年訳と英国人宣教師マーシュマンが加わって漢訳された1810年訳、1813年訳、1822年訳の人称代詞の用法を比較考察したものである。本発表により、一人称代詞はその使用頻度から「我〉吾〉予〉余」または「我〉吾〉余〉予」、二人称代詞は「爾〉汝」、三人称代詞では「他〉伊〉彼」または「他〉彼=伊」または「他〉彼」、不定称・疑問の人称代詞では「誰≧ 孰」または「誰人〉誰〉孰人」または「誰〉誰人〉孰=孰人」の優位順序の存在が明らかとなった。また複数形を示す接辞については「等」、「儕」、「們」、「曹」、「輩」、「的」が見られたが、「曹」、「輩」は三人称とは結合せず、一人称と二人称とのみ結合していた。「的」は広東語の接辞で、一人称のみと結合することが確認できた。さらに、「等」はどの人称の代詞とも結合し、結合可能な人称代詞が最も多いことが明らかとなった。

日本的漢字の変容—『小野篁歌字尽』その後— 乾 善彦
発表要旨:日中の漢字字体意識の違いについて、次の5点から、その違いの生じた環境を考える。 ① 字体資料としての『小野篁歌字尽』 ② 『小野篁歌字尽』の展開 ③ 春町『廓費字尽』と三馬『小野譃字尽』 ④ 馬琴『無筆節用似字尽』 ⑤ 「已己巳己」のひろがり まず、昨年度に引き続き、近世の幼学書、漢字を覚えるための教科書である『小野篁歌字尽』とその展開資料を通じて、近世期の「庶民階級」(漢学とは離れた位置にある)のいとなみについてとりあげた(①)。まず、『小野篁歌字尽』の字体意識として、「俗」の字体が「誤り」と指摘されて「正字」へと改められていく側面を指摘する。『小野篁歌字尽』は近世を通じて多くの版を重ねているが、その中に字体の「誤り」を指摘するものがあらわれ、さらに本文が正字に改められたものがあらわれる傾向がある。このように「俗」の典型と される『小野篁歌字尽』であるが、その字体意識には重層性のあることを指摘した。②では『小野篁歌字尽』の展開資料を概観し、その中から文字遊び的な要素の強い3点を取り上げる。春町『廓𦽳費字尽』と三馬『小野譃字尽』は、『小野篁歌字尽』を模して費字(むだじ)や譃字(うそじ)といった新たな漢字を創製するもので、その造字法が日本的な漢字の構造についての意識を反映したものと見る(③)。つぎに、馬琴『無筆節用似字尽』は、たとえば「文」を縦に長く伸ばしてかんざしに見立てるなど、文字を絵画化して覚えるようなパロディーであり、そこに文字と絵とのかかわりをみる。上記二者の造字法には、漢字を映像化したようなものがみとめられ、そこに三者の共通の文字意識をみた。さいごに『小野篁歌字尽』と『小野譃字尽』とに共通する項目である「已己巳己」を取り上げ、これが京伝『小紋雅話』にとりあげられたり、歌舞伎の錦絵の題材となったりして、とある位相において共通理解のあったことを指摘した。その共通理解を持った階層こそが「庶民」とよぶべき階層であり、近世の「俗」の字体意識を支える基盤となっていたと考えた。日本的な字体意識を生み出す力となったのは、そうした庶民の共通の教養であって、それは漢学者たちの正統な字体意識とはおおきく異なるものであったことを指摘した。

『海国図志』版問題新論 田野村忠温
19世紀中国の代表的な世界地理著作である魏源『海国図志』にどのような版があるかという問題については従来中日両国の多数の歴史研究者と若干の言語研究者による議論や記述がある。しかし、それは常に不十分な調査、皮相な観察、即断、他者の論の軽信に基づく弛緩した論理で語られてきた。 『海国図志』の本来版—魏源の生前に出版された版をそう呼ぶ—には五十巻本、六十巻本、百巻本の3種類の版があるが、学界の定説は〝五十巻本は1844(道光24) 年、六十巻本は1847(道光27)年、百巻本は1852(咸豊2)年に初めて出版された、そして、六十巻本には1849(道光29)年に出た重訂版がある〞 というものである。すなわち、六十巻本には2つの版があるが、五十巻本と百巻本(の本来版)には1つの版しかないと考えられている。 本発表においては、『海国図志』諸本の調査と分析に基づき、五十巻本には3種類、百巻本には2種類の版があることを述べ、それらが本来版の改版過程においてどのような相互位置を占めるかを明らかにした。

「知識」の系譜 沈 国威
知識とは、自然界の森羅万象に対する人類の認知作用の総括と蓄積である。古代中国では、知識は六芸からなるが、西洋では、文字の介在の有無によってliteratureとartに分けられていた。そして近代に入ると、literature はbelles-lettres とpositive scienceに分化し、artは、useful artとfineartに分かれた。その後、さらにpositive scienceとuseful artが融合し(科技)、belles-lettresとfineartは一体化した(文芸)。西学東漸は、東アジアの知識体系を西洋仕様にフォーマットし直したと言えるが、その受容のプロセスに、最も大きく貢献したのが西周であった。本発表は、東アジアにおける西洋の近代知識体系の受容史を西周の訳語によって再現する可能性を論じるものである。



2022年10月28日 KU-ORCAS第3回研究例会

概要 主幹 奥村佳代子
2022年度第4回研究例会(第3回 KU -ORCAS研究例会)は、4人の発表者が個別のテーマで最新の研究成果を発表した。奥村佳代子 主幹研究員 「御幡雅文著『生意襍話』について」 明治期に著された商業中国語会話書の1つである御幡雅文著『生意襍話』の日本における所蔵状況の紹介と、北京官話としての基本的な特徴が備えられていることを、具体例を挙げながら示した。
塩山正純 研究員 「宣教師ネヴィアス夫人による中国語に関する記述について」 アメリカ長老会の宣教師として19世紀に中国で伝道したネヴィアスの夫人Helen S.CoanNeviusの著述を取り上げ、中国語に関する記述部分を整理し、中国語学習に関する考え方や中国語観について論じた。
田野村忠温 研究員 「『海録』諸版とその系譜」 19世紀に著された『海録』の版本に関する従来の研究は、諸版の列挙にとどまり、それぞれがどのような関係にあるのかという問題についてはまったく触れられてこなかったが、諸版本の調査結果に基づき、信頼性の高い版本及び原刊版である可能性のある版本を特定した。
内田慶市 研究員 「最近目にした官話研究、イソップ東漸等に関する資料について」 『京華襍拾』所収の京話「意拾喩言」「聖瑜廣訓京話」「一塊金錢」「京話指南」などの最近になって新たに存在を確認することができた北京官話資料を中心に、その概要と語彙の特徴を紹介し、従来の北京語あるいは北京官話研究との関連付けや見直しの必要性を指摘した。

御幡雅文著『生意襍話』について 奥村佳代子
明治期に中国語教科書を多数編纂した御幡雅文が、上海に設立された日清貿易研究所の学生のために作成した商業会話書『生意襍話』を取り上げ、そこに見られる北京官話の使用状況を整理した。まず、『生意襍話』の日本における所蔵状況を紹介し、関西大学にも部分的に所蔵されていること、当時の学習状況を示すものと考えられる写本が所蔵されていることを確認した。さらに、語彙にみられる北京官話の特徴を挙げた上で、会話場面として設定されている地域が北京にとどまらず南方の都市をも含むこと、また南方に住む中国人であっても、交易の場面では北京官話を用いていることを例示し、このことは北京官話の通用する地域が、北京とその周辺に限られていたのではなく、各都市に点在していた状況の現れである可能性があることを指摘した。

宣教師ネヴィアス夫人による中国語に関する記述について 塩山正純
本発表は、アメリカ長老会の訪華宣教師ジョン・リヴィングストン・ネヴィアスの夫人であるヘレン・ネヴィアスの著作に記述された記録から、当時の非母語話者(外国人)である女性知識人の視点から中国の言語文化にまつわる事象がどのように観察されていたのかを考察した中間成果を紹介したものである。 19世紀後半の数十年間は、中国におけるキリスト教宣教師の活動のピークであったが、当時、多くのプロテスタント宣教師がそうしたように、宣教師ジョン・リヴィングストン・ネヴィアスは夫人であるヘレン・ネヴィアスを同伴して中国に赴任し、浙江、山東等の各地で夫婦が協力しながら布教、教育、社会貢献などの活動に従事した。そしてヘレン・ネヴィアスは中国での活動期間に、自身が見聞したさまざまな事柄を事細かに記録した。当時華南で活動した宣教師が活用していた教会ローマ字によって夫婦自身の中国語学習を開始したことや、北方出身の官話の使い手から中国語を学習することの重要性、ネイティブ女性が概して文字を解さないため布教・教育には宣教師側の口語の習得が必要であること、同種の官話使用域であっても地域間の差異が大きいこと、さらに男女間の言語の差異も大きいことなどの諸々のポイントについて、具体的な記録に基づき考察した結果を紹介した。

『海録』諸版とその系譜 田野村忠温
中国人の世界周遊に基づく最初の地理著作として知られる謝清高口述、楊炳南筆録『海録』(1820(嘉慶25)年原刊)には諸版があるが、従来の研究はそれをただ列挙するだけで、『海録』にいくつのどのような性質の版があり、どのような派生の関係にあるのか、原刊版は現存するのか、どれが最も信頼できる版なのかといった問題を考えようとすらしていない。本発表では『海録』の諸本の観察と分析に基づいて版の種類を明らかにし、それらがどのような系譜を成しているかを考察した。そして、確認の限りにおいて、関西大学図書館増田渉文庫蔵本と大阪大学附属図書館蔵本の信頼性が最も高く、原刊版であるか、もしくは、それに最も近い版であるなどの結論を述べた。

最近目にした官話研究、イソップ東漸等に関する資料について 内田慶市
今回は「最近目にした官話研究、イソップ東漸等に関する史料について」というタイトルで研究発表を行った。 取り扱った資料は先ず、『京話襍拾』『北京官話』『北京土語集』等、そして『燕京婦語』の新しい写本であるが、特に最後の『燕京婦語』については、その作者、訳者等々が判明し、更には訳者の1人である「成田芳子」に関して詳細な経歴を明らかに出来た。これは今後の北京官話研究にとって極めて大きな意義のあるものであるはずである。次に「イソップ東漸」関係の資料であるが、これもこれまでほとんど触れられることになかったルッジエリーのマテオ・リッチよりも古いイソップ翻訳について詳述し、またその言語的特徴も明らかにした。この他、トーマス・フランシス・ウェードの『語言自邇集』のフランス語版の発見についても述べた。いずれにしても、ほとんどが世界で初めての資料であり、学術的価値は大きいものがあると確信している。



2022年1月20日 KU-ORCAS第6回研究例会

概要 主幹 奥村佳代子
講演 長田俊樹(総合地球環境学研究所 名誉教授) 「石濱シューレ考—その課題と問題点」
研究発表 玄 幸子 研究員 「石濱純太郎と東洋言語学者たち―「大東亞語學叢刊」をめぐって」
堤 一昭 研究員 「『元典章』に記された漢語モンゴル語接触の現場」 (付:阪大図書館・石濱純太郎展の概要)
松岡雄太 研究員 「渡部薫太郎の満洲語学―満洲文字の転写とその発音を中心に」
2022年度第10回研究例会では、長田俊樹先生(総合地球環境学研究所名誉教授)によるご講演と石濱純太郎とその周辺をテーマとする研究発表が行われた。 長田俊樹先生によるご講演「石濱シューレ考—その課題と問題点」は、石濱サロンや大阪東洋学会、静安学社、大阪言語学会に集まった研究者を指すとされる石濱シューレについて、石濱純太郎の生涯を紹介するとともに、石濱が設立に関わった学会や研究会や組織と、石濱の周りに集った人々を網羅的に詳細に取り上げ、石濱が築き上げた学者たちのネットワークの実態を紐解きながら、石濱シューレとは何だったのかを論じられた。 続く研究発表では、玄幸子研究員が「大東亞語學叢刊」の状況から石濱純太郎をめぐる東洋言語学界を川崎直一から石濱に送られた書簡をもとに検証し、堤一昭研究員が『元典章』における漢語とモンゴル語の言語接触の諸相の分析と大阪大学図書館の石濱純太郎展の概要についての紹介を行い、松岡雄太研究員が渡部薫太郎の『満語文典』と『満洲語文典』を取り上げ、現在とは異なる満洲語の読み方が認められることを指摘した。

石濱純太郎と東洋言語学者たち―『大東亞語學叢刊』をめぐって 玄 幸子
「大東亞語學叢刊」(羽田亨監修 朝日新聞社出版)は石濱純太郎・川崎直一共編になる当時の大東亞共栄圏の言語を対象とした語學叢刊である。当初の予定では、満洲語・北京語・蘇州語・厦門語……トルコ語、ウズベツク語・キルギス語など21、2種の言語について出版することになっていたが、宮武正道著『マレー語』(1942年4月)および高橋盛孝著『樺太ギリヤク語』(同年10月)の2冊が出版されたのち後続しないまま立ち消えてしまった。この間の石濱純太郎をめぐる当時の東洋言語学斯界の状況を川崎直一の石濱宛書簡を通して検証することで、戦時下の紙の不足などによる出版業界の苦しい状況や、特殊文字作成に伴う印刷上の困難などの実情が明らかになってきた。さらに個々の言語学者たちの学会例会での発表など、当時の研究活動の一端をも垣間見ることができた。

『元典章』に記された漢語モンゴル語接触の現場(付:阪大博物館・石濵純太郎展の概要) 堤 一昭
『元典章』をはじめとする13・14世紀のモンゴル時代中国での法制典籍には、前文/本文に続いて箇条書きの施行細則部分「条画」があるものが相当数ある。前文/本文部分には、モンゴル大カアンら為政者の裁可を示す文言が多く記されているが、「条画」部分への関与は不明であった。『元典章』での実例から、「条画」部分についても、少なくとも重要な項目は、(漢語で書かれた原案を)モンゴル為政者に口頭(モンゴル語/ないしはモンゴル文文書)で説明し、裁可を得ていたのではないか、という仮説を提示した。   また、2023年春季に大阪大学博物館で開催予定の「なにわ町人学者の東洋学—石濵純太郎展」について、主旨・概要、構成(第Ⅰ部石濵純太郎コレクションからみる東洋の文字、第Ⅱ部石濵純太郎をめぐる人々—学芸のネットワーク)、および展示候補資料リストを紹介した。

渡部薫太郎の満洲語学―満洲文字の転写と発音をその中心に― 松岡雄太
渡部薫太郎は日本の満洲語学史上、大正から昭和初期にかけて活躍した重要人物の一人である。本発表ではこの渡部薫太郎が残した満洲語に関する著作のうち、初期の文法書である『満語文典』(1918)と『(訂正)満洲語文典』(1926)の二種を対象に、満洲文字の転写と発音法に着目して、その資料的価値を論じた。特に、これらの資料を扱った先行研究のうち、上原久(1965)「渡部薫太郎の満洲語学(1)」(『埼玉大学紀要人文科学篇』14:1—17)が疑問のまま残していた「今ヨリ三百年前ニハ満語ノ音韻ハ純然タル者ナリシガ現下満語ノ音韻ハ大ニ支那語ニ同化セラレテ固有ノ音韻ヲ失ヘリ」の解釈について、当時の満洲語の読み方は、現在多くの研究者が満洲文字の転写に用いるMöllendorff式のローマ字表記をそのまま読むのとは部分的に異なっており、韓国の満洲語学者が(少なくとも18世紀以降現在にかけて)満洲語を読むやり方に近かった可能性があることを論証した。