1951年に東西学術研究所を設立して以来、多くの東アジア文化研究者が在籍し、新しい学問体系の提唱など数々の実績を残してきた関西大学。その長き学統を受け継ぎ、発展させるために設立された機関が、関西大学アジアオープンリサーチセンター(KU-ORCAS 読み : ケーユーオルカス)です。
東西学術研究所・総合図書館・博物館が所有する資料や、本学の源流のひとつ、泊園書院から寄贈された蔵書など、貴重な東アジア関連資料、約15万点のデジタルアーカイブ化を進めています。
東アジアの研究者はもちろん、異分野の研究者や企業、教育機関、そして市民まで。KU-ORCASは、所有資料、研究ノウハウなど、あらゆる情報を全ての人に公開します。
東アジア文化
深まる・広がる・つながる
KU-ORCASは、多くの研究者の知見を取り入れる組織体制を築き、東アジア文化研究をさらに深めていきます。その成果や過程も広く公開することで、従来は接点がなかった別領域とのつながりを創出し、新たな発見を生み出します。世界最高水準の専門性を持ちながら、世界中のだれもが利用可能。これまでにないアプローチによって、東アジア文化研究と人文学の新しい地平を切り拓いていきます。
資料も、人も、ノウハウも。
研究の全てを、世界にひらく。
関西大学が培ってきた、東アジア文化研究の「知」を社会全体へ開くため、KU-ORCASでは、デジタルアーカイブを軸に市民から研究者まで多様な知見を共有し、その活用方法をみんなで考える場を築いていきます。これまでの閉じられがちだった研究スタイルに改革を起こし、東アジア文化研究に新しい風を巻き起こしていきます。
明治時代、日本初の従軍記者として、平易かつ流暢な文体で戦場を描き、人気を博した岸田吟香。新しい物事への挑戦心が強く、新聞の発行や目薬の販売など、さまざまな分野で成功をおさめた人物です。そんな彼が学びを深めたのが、関西大学の源流のひとつである漢学塾「泊園書院」でした。日本で初めてTKGを食べ、世間に広めていったのも彼だと言われています。
1843年に上海が開港されてから、西洋人が続々と中国に移り住みました。彼らは現地で中国人シェフを雇い、中国語に翻訳された洋食のレシピ『造洋飯書』を元に洋食をつくらせました。料理名や食材など、適した言葉が見つからなかったものは音訳されており、「樸定」もそのうちのひとつです。中国人のシェフたちはそのレシピを元に、見たこともない料理をつくっていたそうです。いったいどんな味だったのか、気になりますね。
造洋飯書ではプリンの他にも、さまざまな西洋料理が次のように訳されました。あなたはいくつイメージできますか?
「小湯」=ソースや調味料
「酸果」=ピクルス類
「甜湯」=ソースの類
「麺皮」=パスタ類
「餅」=ビスケット類
「雑類」=珈琲、紅茶、ワインなど
万里の長城は、外敵や異民族の侵入を防ぐためにつくられました。しかし、建設当初は今のような姿ではなく、もっと低い土壁だったようです。そのため、侵入を許すこともしばしば。対策として、長城の内側には侵入者の“足跡”が残る2m幅の砂が敷かれていました。また侵入者だけでなく、逃亡者の存在を知らせる役割もありました。国を守る大切な砂場で、遊んでいいわけがありませんよね。
19世紀末の欧米には、まだ中国語の入門書がありませんでした。そこで、欧米人に馴染みの深いイソップ物語を中国語に翻訳した『意拾喩言』がつくられました。物語の筋はほとんど同じですが、登場する地名や人物が中国風にアレンジされるなど、中国の文化を理解するためのテキストにもなっていたようです。ヘラクレスが阿弥陀仏と訳されたのも、当時の中国の価値観を反映した結果なんです。